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大阪のシンボルとして市中心部にそびえ立つ大阪城豊臣秀吉により建てられたその天守閣は、戦による焼失などで、これまでに三度もの再建が行われてきました 現在の姿は、昭和初期に当時の大阪市民の募金により再建されたといいます昔から変わらず愛されてきた大阪城これからもその雄大なたたずまいで、大阪のまちを見守り続けてくれることでしょう

堺市にある日本最大の前方後円墳、大仙陵古墳墓域面積では世界最大とされています 誰のお墓かは諸説あるものの、宮内庁により仁徳天皇の陵墓と治定されており、築造は5世紀前半とのこと1,500年以上も前からこの地に存在してきたお墓これからもきっと、かわらず堺のまちを静かに見守り続けていくのでしょう

高槻市にある史跡公園の新池埴輪製作遺跡は、5~6世紀頃の埴輪工場跡があり、その規模は窯や工房の数から日本最大級とされています 近隣には今城塚古墳などの陵墓が存在し、当時はこの地域が非常に栄えていたことを物語っています 発掘の際に掘りおこされた埴輪たちには、現代のこの街の風景はどのように映ったのでしょうね

江戸時代、淀川を舞台に活躍したくらわんか舟往来する大船に、飯や酒などを満載した小舟で近づき、「くらわんか、くらわんか」とかけ声をあげて売りまわったことからその名がついたとか 明治期の鉄道の普及とともにすたれていきますが、当時一番の盛場であった枚方市周辺には、今でも土産物の名称などにその名残が見られます

かつて大阪は「大坂」や「小坂」と表記され、「おさか」「おざか」と呼ばれていたそうです。台地の地形であったために「坂」という字があてられていたそうですが、明治期に「阪」に改められました。時代とともに変化し、西日本経済の中心として発展してきた大阪。今では世界有数の大都市に位置づけられています。

大阪と京都の中間に位置し、ベッドタウンとして発展してきた高槻市。市章は京都市と大阪市の市章を合わせたデザインになっています。かつては「高月」と呼ばれていたそうですが、とある戦国武将が槻(欅)の大木の近くに陣を立てたことから、「月」から「槻」に変えたとの説があります。

大阪市の東に隣接する衛星都市、守口市。その由来は、この地域に広がっていた原生林の入り口とする「森口」が、のちの戦国時代に大阪城をまもり口としての「守口」に転じたとする説が有力とされています。今ではビルや住宅のたちならぶベッドタウンとして大きく発展し、本社をおく企業も数多くあります。

大阪府南部に位置し、人口・面積ともに府内第2位の規模をほこる堺市。かつて摂津国・河内国・和泉国の境界付近に興ったことから「境(さかい)」とよばれ、転じて「堺」と表記されるようになったようです。古来より貿易の拠点港として栄え、室町時代に渡来した宣教師からは「東洋のベニス」と称えられたとか。

昭和32年 大阪城全景
昭和32年 大阪城全景

昭和10年 中之島上空より
昭和10年 中之島上空より

昭和5年 枚方大橋
昭和5年 枚方大橋

昭和5年 高槻市上空より
昭和5年 高槻市上空より

昭和16年 淀川守口の渡場
昭和16年 淀川守口の渡場

昭和29年 完成前の鳥飼大橋
昭和29年 完成前の鳥飼大橋

大正時代の荷揚げ場だった永代浜
大正時代の荷揚げ場だった永代浜

昭和7年 堺港上空より
昭和7年 堺港上空より